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東京高等裁判所 昭和62年(ネ)3829号 判決 1989年1月24日

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

(申立)

控訴人ら代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らは、各自控訴人らに対し、各三六〇万円及びこれに対する昭和六一年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人国代理人は主文第一項と同旨の判決及び担保を条件とする仮執行免脱宣言を求め、被控訴人東京都代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。

(主張)

原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決六枚目裏末行の「同原告」を「A」と、同一二枚目裏三行目及び一五枚目裏六行目から七行目にかけての各「嫁ぎ先の」を「嫁いだ」と、同一三枚目表八行目の「職場も辞職し」を「職を辞し」と、同行の「も停学した」を「の通学も止めた」と、同一四枚目表一行目の「おとしめられた」を「陥らされた」と、同一六枚目表七行目の「Aについて殺人等」及び同二三枚目表九行目の「被疑者Aに対する殺人等」を「本件」と、同一九枚目表五行目の「時には」を「ときには」と、同二七枚目裏八行目の「塁」を「累」とそれぞれ改め、同二一枚目裏一行目の「右」を削る。)。

(証拠関係)<省略>

理由

一  警視庁東調布警察署の司法警察員が、昭和五六年一月一三日、本件被疑事件について、東京簡易裁判所の裁判官に対し逮捕状を請求してその発付を受けたこと、本件被疑事件の要旨が概ね控訴人ら主張のとおりであることはいずれも当事者間に争いがない。また、弁論の全趣旨によれば、Aが逃走し所在不明となったため、警視庁において全国に指名手配し、その後も東京簡易裁判所の裁判官に対して逮捕状を請求し、現在まで追跡捜査中であること(右事実は、控訴人らと被控訴人東京都との間においては争いがない。)、右逮捕状の請求に対して東京簡易裁判所の裁判官が逮捕状を発付していること(右事実は、控訴人らと被控訴人国との間においては争いがない。)が認められる。

二  ところで、控訴人らの本訴請求は、右のとおり、Aが逮捕状の発付後、逮捕されることなく今日まで逃走中であるという状況の下で、司法警察員及び裁判官が犯罪事実の不存在を看過しあるいは知りながら、あえてこれを無視し、Aに対して逮捕状を請求又は発付した違法があるとして国家賠償を求めるものであるが、このように今後引き続き刑事手続の進行が予定されている段階にあっては、国家賠償請求訴訟において、犯罪の嫌疑の有無についての捜査機関又は令状発付裁判官の判断若しくはこれに基づく行為をとらえて違法であると主張して、それにより受けた損害の賠償を請求することはできないとするのが相当である。その理由は次に述べるとおりである。

1  捜査機関は、犯罪事実が発生した場合には、これについて捜査を行い、公訴の提起及びその追行のための資料を収集することにより、社会秩序の回復及び維持と国民一般の生活の安全の保持とを図り、もって公共の福祉に奉仕することをその責務とする。そしてその責務を遂行するための手段として捜査についての専権を付与されている。すなわち、捜査機関は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠の捜査を開始することができ(刑事訴訟法(以下、同法の条文を引用する際には単に「法」という。)一八九条二項、一九一条一、二項)、捜査の段階でいかなる資料に基づき、いかなる犯罪の嫌疑を抱くかは捜査機関にその権限として委ねられている。その方法としては、任意捜査のみならず、強制捜査を行うことも許容され、検察官、司法警察職員等は、その捜査によって、被疑者に罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ、逮捕の必要性があると思料するときは、裁判官に逮捕状を請求することができ(法一九九条一項)、逮捕状が発付されれば、その被疑者を指名手配することもできる。また捜査の密行性と迅速性とが容認され、逮捕状の請求に当たって、捜査機関は収集した証拠のうち犯罪の嫌疑の相当性及び逮捕の必要性を疎明するだけの資料を裁判官に提供しなければならないが、それをもって足り(刑事訴訟規則(以下、同規則の条文を引用する際は単に「規則」という。)一四三条)、裁判官は、必要と認めるときは、逮捕状の請求をした捜査機関の出頭を求めてその陳述を聞き、その者に対し書類その他の物の提示を求めることができるに留まるものとしているのであり(規則一四三条の二)、逮捕状の請求を受けた裁判官が事実の取り調べをすることができる(法四三条三項、規則三三条三項参照)としても、これは右刑事訴訟規則一四三条の二の趣旨及び令状審査の迅速性、秘密性に反しない限度に限られるべきものである。そして、右以外に、逮捕状の請求、発付の段階で、捜査資料が捜査機関以外の者に開示されることはないのであって(逮捕状の請求、発付に限らず、捜査の全段階を通じて、令状審査の裁判官及び準抗告裁判所に対する以外に捜査資料が開示されることはない。)、もちろん、裁判官が右以上に証拠を探索することもないのである。

2  右捜査機関の行為又は裁判官の令状発付行為が国家賠償の原因たる不法行為として主張され、その主張が捜査機関又は裁判官による犯罪の嫌疑についての相当性の判断の誤り自体を内容とし、あるいはこれを前提とするものである場合は、その違法性の審理は、事柄の性質上刑事訴訟の主題である犯罪事実の存否自体の審理と重複せざるを得ないから、刑事手続の終結に先立ち、国家賠償請求訴訟でこれを審理しようとすれば、結局、犯罪事実の存否そのものを刑事手続に先んじて民事訴訟において審理し、判断することを容認することになる。

ところで、民事訴訟手続である国家賠償請求訴訟においては、その審理につき弁論主義及び公開主義が支配するから、双方の証拠資料はすべて公開の法廷における口頭弁論に提示され、それによって捜査の密行性が覆され、捜査の遂行に重大な支障を来すおそれがあり、これを回避するために捜査資料を提出しないとすれば、一方的な証拠資料のみによって審理を行うこととなり、当事者対等の原則に反する事態を生ずる。右の結果に鑑みると、犯罪事実の存否に関する判断ないしこれを前提とする行為の違法性については、究極的には民事訴訟においてこれを審理しうるとしても、少なくとも刑事手続が進行中の場合には刑事手続法規に基づく審査が優先されると解するほかなく、刑事手続に先行し、民事訴訟において犯罪事実の不存在を理由にその嫌疑の有無の判断ないしこれを前提とする行為の違法性を判断することは、現行法制度のもとでは容認されていないといわなければならない。

3  もっとも、右捜査権の行使がその態様いかんによっては人権の侵害を惹起するおそれがあることは否めないから、刑事訴訟法において、強制捜査、特に身柄の拘束については厳重な時間的制限が法定され(法二〇三条ないし二〇五条、二〇八条等)、これを行うについては、前示のとおり、当該刑事手続の中で、裁判官が、捜査機関の逮捕状の請求に対し被疑者が罪を犯したと認めるに足りる相当の理由があるか否かを審理し(法一九九条二項)、右逮捕状が執行されて身柄が拘束され、勾留請求の段階に至った場合には、改めて、勾留の要件の判断として犯罪の嫌疑の相当性の有無を審査するものとされ(法二〇七条二項)、強制捜査権の行使に対する司法的抑制が課させられている。のみならず、現行法のもとでは、犯罪を犯さなかったにもかかわらず刑事手続上身柄の拘束を受けた者についての事後的な補償の制度として、無罪判決が確定したときは、未決の抑留若しくは拘禁を受けた者又はその相続人は、国に対して刑事補償の請求をすることができるものとされており(刑事補償法一条一項、二条)、また、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者につき、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるときは、抑留又は拘禁について、検察官により補償がなされることとされている(被疑者補償規程(昭和三二年法務省訓令一号)二条、三条)。また刑事手続終了後、右の原因に基づき国家賠償請求訴訟を提起しうることは当然であり、これらにより人権の侵害を受けた者に対する救済が図られるだけでなく、前記の令状の執行に対する司法的抑制と共に、間接的ではあるが、捜査機関ないし令状発付裁判官の違法な権限の行使に対する抑制機能が果たされるものということができる。

公共の福祉に奉仕する捜査上の必要と被疑者の人権保護の要請とが相抵触する場合において、両者の均衡を図るために現行法制上以上のような配慮がされていることに鑑みると、誤って犯罪の嫌疑を受けた者は、民事訴訟においては事後的にのみ救済されるものというべきである。

4(一)  控訴人らは、逮捕状の発付はもちろん、逮捕の処分についても、刑事訴訟法上準抗告は許されておらず(法四二九条一項参照)、逮捕状の請求、発付に対する不服申立ての制度は設けられていないのであるから、逮捕状の請求、発付による人権の侵害に対しては時期のいかんを問わず国家賠償が認められるべきであると主張するが、刑事訴訟法が準抗告を認めないのは、逮捕が比較的短期の身柄拘束であること、逮捕前置主義が採用されて勾留請求の段階での再度の裁判官の司法審理が保障されていることなどから、更にそれ以前の段階で準抗告を認める必要性は乏しいとする判断に基づくものであって、その判断は前記説示のとおり相当というべきであり、右のように刑事訴訟法が逮捕状の発付について準抗告を認めていないことからすると、右時点における不服申立ては、いかなる手続によってもこれを認めないのがむしろ法の趣旨であるというべきである。

(二)  次に、控訴人らは、刑事訴訟法は捜査の密行性のほかに被疑者の人権も保障しているものであって、人権の保障のために捜査の密行性が侵害される結果となってもやむを得ないと主張するけれども、刑事訴訟法は、人権保障と捜査の密行性との調和を図った上で、なお、前記のような規律をしているものであるから、右主張も当を得ないものである。

(三)  また控訴人らは、警視庁においては、自ら捜査の密行性を放棄し、迅速性の要請は失われていると主張するが、公開捜査は、令状の発付が既に被疑者に確知されている場合には捜査の密行性と反するものではなく、令状の行使については、その発付のみならず執行の迅速性の要請が存するのであって、被疑者が逃亡中である以上、執行の迅速の必要は一層強まりこそすれ弱まるものではないから、控訴人らの右主張も理由がない。

5  したがって、刑事の無罪判決が確定し、あるいは、犯罪の嫌疑がないことを理由として不起訴処分になる等、当該被疑事実についての刑事手続が完結すれば格別、それ以前の段階においては、犯罪事実の不存在を理由に刑事手続の違法を主張して民事上の救済を求めることはできず、Aについて逮捕状の請求及び発付がされただけの段階において、Aが本件被疑事実に関与していないことを理由に、右逮捕状の請求及び発付を違法であると主張し国家賠償を求めることは許されないといわなければならない。そうであるとすれば、本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも失当である。

三  以上のとおり、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却した原判決は相当である。よって本件各控訴をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丹野 達 裁判官 加茂紀久男 裁判官 新城雅夫)

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